松下幸之助が提唱した水道哲学と税金のない国家「無税国家」とは?

更新日:2020年04月08日

水道哲学とは?

水道哲学というのは、松下幸之助の経営哲学を表したものになります。水道水はいつでも飲めて、他人に水道水を頂いても高額な費用を請求されることはありません。生活必需品である電化製品も、水道水のように低価格で大量に、いつでも供給することで、消費者の手元に行き渡ることが幸福につながるという哲学です。

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は価(あたい)あるものであるが、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供することにある。それによって、人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設することができるのである。松下電器の真使命もまたその点にある」

「この日以降、建設時代10年、活動時代10年、社会貢献時代5年、計25年を1節とし、以後同じ方針を時代の人々に伝えながら、これを10節繰り返し、250年後に楽土の建設を達成しよう」

「250年後を見据えた創業者の発表に社員は感激。自らも決意を発表しようと次々と壇上にあがったという。結局、午前10時に開会した式典は、午後6時にようやく閉会した。」

このような挨拶を、1932年(昭和7年)の第1回創業記念式において述べています。安いものをただ提供すればよいだけでなく、安くて良いものを、いつでもどこでも提供できるということが大切と言っています。小さい頃の貧困で苦しんだ松下幸之助の経験が、このような経営哲学につながったようです。例えば、昨今の企業であれば、株価を上げることや短期的な利益を手にするために、このような社会へ貢献するという目標を、ビジネスの中心に置いていない企業も多いように思います。貧困を救済するという使命を、家電メーカーというビジネスのフィルターでありながら、考えていたということではないかと思います。ソーシャルビジネスのような側面と言っても、過言ではないのかもしれません。私たちは、いま何でも「モノ」がある時代に住んでいるので、日本の消費者に向けてこのようなことはあまり考えませんし、ビジネスを発想する際に、高付加価値の商品などを考えてしまいます。けれど、50年前までの日本はとても貧しい国でした。その中で、イギリスやアメリカのような先進国の情報が入ってきて、それを誰でも買うことができる価格で提供したいという想いは、純粋なものだったのではないかと思います。この考え方は現代にもつながると思います。「モノが売れない時代」というよりは、「モノでは人間の欲望を満たせなくなった時代」ということではないでしょうか?欲しいものがないのは、欲しいものを提案できていないということですが、提案するにも限界が来ているのかもしれません。昔のバブル期の頃のように、お金があれば人は「モノ」を買うという話もありますが、現在の「モノ」の買い方は、既にあるもののアップグレードになることが多いと感じます。例えば、車もそうです。皆、「エコカー」に乗っていますが、お金があれば「高級車」に乗り換えるという形です。基本的には、ほとんどの生活必需品は既に揃っていて、それのバージョンをアップするということになります。お金が「ある」と「ない」の違いは、サービスなどの経験の違いに移ってきていると思います。商売は「楽」という言葉で表せると考えています。生活を「楽」にするものと、生活を「楽しく」するものです。前者は洗濯機や掃除機、車など今まで手動だったもので、自動になるといった形で、生活が「楽」になるものです。後者はゲームセンター、ディズニーランドのようなエンターテイメント性のあるものです。前者は基本的にはないと困る生活必需品が多いですが、後者はなくても何とかなるものです。「モノ」ではなくて、「コト」であることが多い商品です。厳密には、「衣食住」が満たされていれば、前者がなくても生きていけると思いますが、現代生活においてなくてはならない生活必需品の「モノ」になっています。なので「衣食住」と「楽」にあたる「モノ」があれば、文化的な生活ができると思います。「コト」に関しては、人それぞれなので高い費用を出してもよいと思いますし、高いなくても素敵な体験ができる「コト」もあります。「モノ」に関しても、高級品にあたる「モノ」は、そのブランドの歴史といった風に「コト」の要素が強いように思われる。その高級な部分はブランドであったり、目に見えない価値であったりするので、見栄を張るために高級品を購入するという思考ではなく、「コト」を楽しむために購入するといった形で捉えると心を豊かにすると思います。

松下幸之助が提唱した無税国家論とは?

松下幸之助は生前、「無税国家論」ということを提唱していました。「無税国家論」というのは、長期展望に立って、税収のダムを作るということです。会社経営のノウハウを、国家運営にも生かすということになります。そのためには、単年度の予算ではなく、複数年度で予算を考える必要があります。さらに、会社で言うところの経営努力によって、政府も余剰金を生み出します。それを積み立てて運用し、その運用益で国家を運営するという考え方です。会社経営のように極限まで無駄を省き、そこで生まれた余剰金を積立運用します。要するに、国が税金の一部を余剰金として積み立て、その運用益を活用して財政を賄うというものです。大きく分けると、次のようなポイントにまとめられます。

「無税国家を作るという目標をきっちりと伝えること」
「余剰金を有効に運用すること」
「行政の無駄な支出を整理すること」
「税制改正」
「長期的な展望に立った政策を考えること」

国家においてこれをしっかりと実行し実現すると、「無税国家」ができるということになります。重要になってくる余剰金に関してですが、予算の一定額を年々積み立てていくという施策が考えられます。このようにお金を増やすことも大切ですが、「無税国家論」でさらに大切なことは、行政のスリム化です。徴税のコストを減らすことで、余剰金は増えます。しっかりと行政がスリム化していなければ、バケツに穴が開いているようなもので、余剰金になるはずのお金もどんどん逃げていってしまいます。税収を上げるために増税に頼るだけにとらわれず、余剰金を生み出すことが大切です。他の企業と同じように、生産性の高い政治を目指さなければならないということも示唆しています。さらに、次のことも述べられていました。近視眼的な政治を行わないことです。「国家無税論」は、長期的な展望に立たなければ実現できない施策であるため、この国家モデルが示す長期ビジョンを国民に希望を持たせる政策として伝えるリーダーでなければならないということです。実際、国家予算(一般会計)の中で歳出を減らせるものは何があるのかを検討してみたいと思います。歳出の多くは社会保障費に充てられています。国債を除いた歳出の約45%は社会保障費になります。社会保障費の内訳を見ると、「医療」「年金」「介護」「福祉/その他」が主な項目です。この社会保障費と国債費、地方交付税で70兆円を使っている状態です。言い過ぎかもしれませんが、実際に攻める予算として使えるのは残りの30兆円程度とも考えられます。社会保障費は生活に直接影響があるため、単純に削れば済むものではありませんが、年々この金額は増加しています。そのため、どこかで柔軟なアイデアを持ち、大胆な削減を行ってプライマリーバランスを保つ方向に持っていかなければなりません。社会保障以外の部分の予算を削るだけではあまりインパクトはありません。社会保障分野で創意工夫し、余剰金を生み出す発想が必要であると考えられます。

<直近の一般会計予算ダイジェスト>
最大予算:97兆7128億円(2018年度予算)
【歳入】
税収:59兆790億円(所得税:19兆200億円・法人税:12兆1675億円・消費税:17兆5580億円・その他:10兆3340億円)
税収外収入:4兆9416億円
新規国債発行:33兆6922億円
【歳出】
社会保障:32兆9732億円(医療:11兆8079億円・年金:11兆8036億円・介護:3兆1153億円・福祉/その他:6兆2464億円)
公共事業:5兆9789億円
文教科学:5兆3646億円
防衛:5兆1911億円
その他:9兆3878億円
地方交付税等:15兆5150億円
国債費:23兆3020億円