更新日:2020年04月07日
人が戦争を始めた理由は諸説ありますし、もしその理由が完全に分かれば戦争のない平和な世界になっているので、完全に起源を見つけることはできませんが、ひとつの切り口として考えられるような説をご紹介できればと思います。有史以後、記録が残っている時代において常に戦争がありました。古代文明のナイル文明ができた時には、ファラオの力によって王国が成り立っていることが書かれています。紀元前の頃は、戦車や歩兵、砲兵が協力して戦争をしていたということが記されています。日本では弥生時代に戦争があったことが伺えます。弓矢で命を落としたと思われる遺体が出ているので、その時に戦争があったと考えられます。壕や堀を張り巡らせたり、稲作に不便な場所に集落が立っていたりもしました。生活の不便を顧みても守らなければならないものがあったため、戦争が起こったのではないかと考えられます。この原因(守らなければならないもの)と考えられるのは、農耕が始まったことによってできた「定住地」と思われています。世界を見渡しても、農耕の始まりと戦争は多くが一致しているようです。農耕することによって、その土地をめぐる争いが生じたと考えられています。それ以外にも色々な理由はありそうですが、資本主義が始まる前の世界では、土地からの生産された作物が重要だったことは間違いないと思います。生産が安定しない狩猟採集だけを行っていた場合は、その日に食べるものを取りに行くことだけで精一杯だったと思われます。気候は寒冷になったり温暖になったりすることがわかっているので、温暖になり食料の収穫が安定してくると、移動するよりも定住して作物を育てた方が効率的になり、所有する土地の品質は有限であるため、より良い土地を目指して争いが始まったという説は、興味深いものではないかと思います。ただ、狩猟採集を行っている人々でも戦争が起こっていたことが分かっているそうです。そのため、アメリカの文化人類学者ファーガソンは、農耕が始まったことよりも「定住」が戦争を生んだのではないかと唱えています。移動する狩猟採集の場合は、何か問題が起こる集団と出会った場合に、素早く敵から離れることができます。しかし、遊牧(遊牧するエリアは実はしっかりと決まっている)や農業を行うと、いざという時に離れられなくなってしまいます。要は、縄張りの適切な距離感が取れなくなってしまうということです。ある群れとの距離感が戦争を生んでしまう原因ではないかと考えられます。「逃げる」ということは、何か悪いことのように捉えられがちですが、争いを避けるために逃げることで平和が保たれていたということです。余談ですが、「諦める」の語源は「明らかに見極める」ということだそうです。逃げるとは、この「諦める」に近い判断だと思われます。動物の世界ではよくあることで、例えば、魚を狭い水槽に入れておくと一匹がいじめられます。いじめられていた魚を別の水槽に移しても、また他の魚がいじめあうそうです。広い海であれば、そういうことはないそうです。小さな世界に閉じ込められると、このようなことが起こります。人間のいじめも、教室という「小さな世界」に閉じ込められたために起こるのではないでしょうか?農地や牧草地、どこかの狩場といった空間に縛られてしまうと、このようないじめ(争い)が起こるメカニズムになっていると考えることもできます。逆に言えば、原始時代の平和というのは、山野から食べ物を取るしかなかったので、次々と移動を繰り返しており、戦争をする余裕があるほど裕福ではなかったということもいえるかもしれません。いじめと戦争には、規模の違いはあれど何か共通するものを感じます。群れとの距離感が争いを生んでいるのではないかということです。動物であれば縄張りがあり、それを侵さないように絶妙なバランスをとっています。他の動物でも、同種同士で殺し合いをします。それは、個体数の調整機能なのかもしれません。けれど注意しなければならないのは、人間は地球そのものを破滅させるほどの力を持っているということです。そのため、人類同士の殺し合いはしてはいけないのです。戦争も時代とともに形が変わっていきます。戦争は大勢の死者や建物の破壊を含め、大きな損害を発生させます。現在の戦争の形は、テロリストがミサイルを用いて国家を攻撃するものであったりします。国家対国家が戦う戦争は少なくなってきました。今、国家対国家の戦争を大国同士が本気で行うならば、それは地球を破滅させるほどの力を持っています。核兵器の使用はその一端です。これから人は、戦争をするということは相手を責めるだけでなく、自らも滅ぼしてしまうということを肝に銘じ、戦争を避け、平和を恒久に保たなければいけません。
人類が農業を始めた理由は何か?狩猟採集から遊牧農耕へ変化していった理由と、遊牧生活と農業、移動生活と定住生活における様々なメリットとデメリットがあります。メリット・デメリットを考えてみたいと思います。様々な説があるので、詳細な研究については各研究結果を元にどのように考えるか、人によって違いがあると思います。ここでは、次のような研究があることをご紹介できればと思います。本来の人間の労働が長い間食べ物を取ることだったと考えるならば、その労働の適正な形や時間などを考察する一助になると考えたからです。
【狩猟採集民族】
狩猟採集民族とは、森の木の実や植物などを採集したり、森にいる動物などを狩猟したりすることで生計を立てている民族のことを言います。元々、人は他の動物と同じように狩猟採集で生活をしていたと考えられます。狩猟採集民族というと発展途上の民族という意味合いがありますが、環境が安定していて森に食べ物がたくさんある場合、とても効果的な生活スタイルであったと考えられます。実際に狩猟採集民族の人は、食べ物を生産するために必要な時間が、成人の労働者一人当たり平均4時間程度であったと言われています。これは現代の8時間労働というスタイルから考えると、時間にゆとりがあり、遊牧民族や農耕民族と比べてもとても少ない時間で効率的に食料確保を行っていたと考えられます。食料の保存や加工などを行わなかったために差はありますが、周期的に一定のテリトリー内を季節移動(移動的社会集団をバンド)して、食べ物を使い尽くさないように効率的に収穫していたと思われます。さらに、その範囲で食べ物がなくなると、次の場所に移動していたと考えられています。人口密度も1平方キロメートルあたり一人以下であったのではないかと考えられます。自然が一人の人を支えるキャパシティは、その程度だったと言えるかもしれません。自然とうまく付き合わなければいけませんでした。移動が重要な食料確保の手段であったため、ほとんど物を持たない生活をしていたと考えられます。日本の「三内丸山遺跡」でもそうですが、縄文時代には餓死者がいなかったと言われています。それは自然が貯蔵庫という役割を果たし、様々な動植物を偏りなく食べることで、不作の年であっても他のものを食べるという形で生活していたため、何らかの救いがあったと考えられています。ひとつの作物に頼るようになった農耕以降、餓死が増えたという説があります。
【遊牧民族】
最近、遊牧的な生活がノマドと呼ばれるようになりました。しかし、それは風任せの生活ではなく、季節ごとにどの放牧地に移動させるかがしっかりと定められていました。狩猟採集民族の時にテリトリー内を移動することで自然と調和していたのと同じように、どこで上手く放牧するかを経験からしっかりと決めていました。自然とうまく付き合うということは狩猟採集時と変わりがありませんでした。遊牧民族は自然災害に脆いといった特徴があります。自然が予想外の動きをすれば、すぐに一から出直す必要があるのです。遊牧民族の特徴として、貿易を行っていたということも挙げられます。家畜から絞ったミルクを原料とする乳製品や、家畜の肉を主要な食料としていましたが、それ以外にも農耕民族と交流(貿易)することで、必要な物資を手に入れていたと考えられています。馬に乗る能力が非常に高かったため、各農耕民族間の交易などにも寄与したと考えられます。遊牧民族は農耕民族と共存を図ることで生存していたとも言えます。ただし、農耕民族との平和な関係が崩れたり、自然災害によって家畜が大量に死んだりすると、騎馬民族としての軍事力を用いて農耕民族社会に侵入し、略奪などを行って生き延びたと考えられます。
<遊牧民の定義>
1. 牧畜を主な生業としている。
2. 自然経済が優先されている。
3. 一定のテリトリー内で定期的に牧草地を移動している。
4. 自然の牧草地で粗放な状態で家畜を飼育している。
5. 移動に際して住民の大部分が参加している。
【農耕民族】
諸説ありますが、現在の人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは約35,000年前頃と言われています。農耕や牧畜が始まったのは約1万年前だと考えられています。農耕民族が誕生した理由として、必要に迫られて農耕民族になったという説があります。寒冷な氷河期などに、狩猟採集だけでは生活が成り立たなくなった人口を支えるために、農耕が発達しだしたという説です。人口も徐々に増加し、自然の恵みだけに頼るのではなく、人工的に食料を生産しないとその人口を養えなかった可能性もあります。人工的に食料を生産するためには、一ヶ所に留まってその土地を耕し、安定した作物を作る必要があります。単一の作物を作ることは、その作物が不作の際に餓死のリスクを伴いますが、ひとつの作物に集中することで、その知見が深まり、効率的に生産できるようになります。イノベーションが起こる際には、ひとつのことに集中することで知見が深まり、革新が生じることが知られています。農業のイノベーションにより、ひとつの作物で効果的に多くの収量を得られるようになり、人口を養えるようになったのです。この定住によって土地自体の価値が生まれ、それによって所有の重要性が高まったと考えられます。それが工業化し、現在の資本主義における私的所有へとつながったのではないかと考えられます。本来、地球は人類共有のものでしたが、均衡の上では養いきれない人口となったため、必要性から人工的に食物を生産する道が選ばれ、それが工業化して私的所有の資本主義に発展したのではないでしょうか。このように、工業化以前の3つの民族形態を考察してみましたが、狩猟採集民族では現代の戦争のような大規模な争いはなく、争いも少なかったと見られています。森は天候によって収穫が左右されるため、ひとつの優秀な森を見つけたとしても、そこでの食料が尽きることがありました。そのため、移動しながら食料を調達する必要があったのです。敵対する部族同士で衝突しても、上手に距離感を保つことで、お互いの縄張りを絶妙なバランスで維持していたという説があります。群れを成す動物と同じで、群れを維持するために最小限の争いはあったと考えられますが、農耕以降のように大規模な争いは「回避」することによって免れていたのではないかとも考えられます。これらのことを踏まえると、争いを避けるには「移動」すること、すなわち「定住」ではない形態が本質なのかもしれません。さらに、群れ同士の距離感を保つことで、社会が円滑に運営できる要素があったのかもしれません。また、本来人間は、おおよそ4時間程度の労働が妥当であったのではないかと感じました。以上ご紹介した内容は、人が生活し働くということについて考察する一助になるのではないかと考えます。